A

🔐 ハードウェアウォレットの「パスフレーズ」— 25番目の合言葉をやさしく解説

24個の復元ワードが漏れても資産を守れる「もう一つの合言葉」。中学生でもわかる説明と、最近の実際の事件、機種ごとの設定イメージをまとめました。

⚠️ 最初にお読みください
このページの設定手順は「イメージをつかむための概略」です。メニュー名や手順はファームウェア/アプリのバージョンによって異なり、頻繁に変わります。実際に設定する前に、必ず各メーカーの公式ドキュメント(各節にリンク)に従ってください。そしてパスフレーズの鉄則:忘れたら、メーカーもサポートも誰も、資産を取り戻せません。

1. パスフレーズとは?(金庫の中のもう一つの金庫)

ハードウェアウォレットを初期設定すると、24個の単語(リカバリーフレーズ)が渡されます。これは金庫のマスターキーです。24語を手に入れた人は、誰でもその金庫を開けられます。

パスフレーズは、そこに自分だけが決める「25番目の合言葉」を1つ足す機能です(単語でも文章でもOK)。ポイントはここ:24語+パスフレーズで開くのは、まったく別の金庫です。24語だけだと普通の金庫、パスフレーズを足すと隠しの第二金庫が現れる。パスフレーズを知らない人には、隠し金庫が存在することすら分かりません。

だから、写真・紙のメモ・ハッキングされたアプリなどから24語が盗まれても、泥棒が開けられるのは普通の金庫だけ。そこに「おとり」の少額だけ置いておき、本命は隠し金庫に入れておけば、泥棒は全部盗ったつもりで帰っていきます。

(技術的にはBIP39のオプショナル・パスフレーズと呼ばれます。端末の中には保存されず、毎回入力するか第2のPINに紐づける方式なので、機器を分解しても取り出せません。)

2. なぜ今重要か — 実際の事件から

SecondFi/Yoroi事件(2026年6月)
ソフトウェアウォレットの欠陥により、取引の署名から秘密鍵が漏れ、374ウォレットから約1,610万ADAが流出しました。教訓は2つ。①ハードウェアウォレット利用者は無事だった(鍵が端末の外に出ないため)——いま多くの人がハードウェアウォレットへ移行している理由です。②鍵やシードは「想定外の経路」で漏れうる。パスフレーズはまさにその時のシートベルトで、シードが漏れても隠しウォレットまでは露出しません。詳細は当サイトの事件ページへ:adatool.net/secondfi-recovery
自宅強盗・恐喝(レンチアタック)
2025〜2026年、暗号資産の保有が知られた人を狙う自宅強盗・誘拐事件が世界的に増えました(欧州で複数の著名事件)。脅されてウォレットを開けさせられる状況でも、パスフレーズがあれば「おとり」を差し出せます——普通のウォレットには耐えられる金額だけを入れておき、隠しウォレットの存在自体を見せない。完全な防御ではありませんが、『全額を失う』を『おとり分で済む』に変えられます。
端末からの物理抽出・偽デバイス
セキュリティ研究者は、端末を物理的に入手し実験設備を使えば一部機種からシードを抽出できることを繰り返し実証しています。また、フリマ等で「シードが最初から仕込まれた」改造品が売られた事例もあります。パスフレーズは前者への有効な対策です(チップ内に保存されないため抽出できない)。後者は「公式ストアで買い、シードは必ず自分の端末で生成する」習慣で防ぎます。
Coldcard乱数欠陥 — 1,000超のウォレットが流出(2026年7月)
ファームウェアのバグで『24語そのもの』が推測可能になり、攻撃者は端末に一切触れずに数千アドレスから報道ベースで1,300 BTC超を抜き取りました。パスフレーズ利用者の隠しウォレットは生き延びました——パスフレーズは、ウォレットの(壊れていた)乱数生成器からは決して生まれないからです。詳しくは下のセクション4で解説します。
24語を狙うフィッシング
最も多い攻撃はこれです。偽の『アップデート』『本人確認』画面が24語の入力を求めてきます(SecondFi事件の後も、偽アプリ・偽拡張機能・偽メールによる詐欺の波がまさに発生しました)。鉄則:24語を入力してよいのはハードウェア端末本体だけ。ウェブサイトやアプリには絶対に入力しない。パスフレーズは万一24語が漏れた際の第二の防衛線ですが、『どこに入力してもよくなる』わけではありません。

正直な注記:端末自体が悪意あるファームウェアで動いている場合や、パスフレーズ自体をフィッシングサイトに打ち込んでしまった場合は守れません。守れるのは最も起きがちな事故=『24語の漏洩』です。

3. 設定する前に — 3つの落とし穴

実際にこれで資産を失う人がいます。よく読んでください。
  • 忘れたら永久に失う。 リセットもサポートも復旧もありません。パスフレーズを失えば、24語が手元にあっても隠しウォレットは二度と開けません。
  • 「パスワードが違います」とは出ない。 どんなパスフレーズでも「何かのウォレット」は開きます。打ち間違いは、別の空のウォレットを開くだけ。残高ゼロが表示されても慌てず、まず打ち間違いを疑ってください(大文字小文字・スペースも区別されます)。
  • 必ず少額でテスト。 設定→少額を送金→一度切断(または再起動)→パスフレーズで再度開いて残高が見えることを確認。それから本命の資金を動かします。
  • 24語とは別の場所に保管。 シードと同じ紙に書いたら意味がありません。別々の場所に。また相続も考えておくこと——いざという時、信頼できる家族が両方に辿り着ける設計に。

4. ケーススタディ:Coldcardハッキング(2026年7月)— なぜパスフレーズが有効だったのか

2026年7月末、最も信頼されてきたBitcoinハードウェアウォレットの一つColdcardで大規模流出が発生しました。報道によると7/30には41分間で1,196アドレスから約1,082 BTC(約$70M)が抜かれ、その後の波を含め合計1,300 BTC超(日本報道では約142億円)に達しています。端末が盗まれたわけでも、フィッシングに引っかかったわけでもありません——欠陥はウォレット自身の内部にありました。

🎒 中学生でもわかる版

ハードウェアウォレットが24語を作るとき、本来は『宇宙の誰にも当てられないほど巨大な、完璧なサイコロ』を振ることになっています。Coldcardのバグ(2021年3月からファームウェアに潜んでいました)は、このサイコロを壊していました。本物のランダムではなく、こっそり予測可能なパターンを使っていたのです——毎回同じ手順で『シャッフル』されるトランプのように。

予測できるサイコロの出目は、当てられます。攻撃者は『壊れたサイコロが出しうる24語のリスト』を割り出し、コンピュータで片っ端から試し、お金の入っているウォレットを見つけて空にしました。端末に一切触れずに、1時間足らずで1,000以上のウォレットが抜かれたのはこのためです。

ここが核心です:パスフレーズは、あなたが頭の中で考える合言葉です。壊れていようがいまいが、ウォレットのサイコロからは一切生まれません。だから機械の24語が当てられてしまう状況でも、隠し金庫を開けるには『壊れた機械が一度も知らなかった秘密』がもう一つ必要でした。パスフレーズを設定していた人の隠しウォレットがこの事件を生き延びたのは、まさにこの理由です。

正直な補足をひとつ:この場面でのパスフレーズは『盾』であって『治療』ではありません。Coldcard公式の案内どおり、修正済みファームウェアで新しく生成したシードへ資金を移すのが正解です——弱いシードは、パスフレーズの後ろにあっても弱いままだからです。

🔬 厳密版(暗号学的な説明)

何が壊れたか:2021年3月のファームウェア統合ミスにより、シード生成がSTM32のハードウェア真性乱数生成器(TRNG)ではなく、決定論的なソフトウェア擬似乱数(PRNG)に接続されていました。Coinkiteの開示によれば、影響を受けた端末のシードの実効エントロピーは本来の128ビットではなく約72ビット(実際に悪用されたMk3系はさらに弱かったとされます)。BIP39の安全性はニーモニックのエントロピーだけに依存しているため、これが列挙可能な範囲まで落ちると、攻撃者はオフラインで候補シード集合を生成し、標準の導出パスに沿ってアドレスを導出し、チェーン上の残高ありアドレスと突合して一括送金できます。物理アクセスも、被害者側のマルウェアも、一切の接触も不要です。

seed = PBKDF2-HMAC-SHA512( mnemonic, "mnemonic" + passphrase, 2048 )

  • パスフレーズが持ちこたえた理由:パスフレーズはKDFのソルトの一部として入りますが、決定的に重要なのは、そのエントロピーが『人間から帯域外で供給される』ことです。端末の(壊れた)乱数生成器を一切経由しません。攻撃者の探索空間は「弱いシード空間 × パスフレーズ空間」の積になり、RNG欠陥で潰れたのは前者だけ——後者は無傷のまま残りました。
  • 経済性の観点:裸の弱いシードを抜くのは安価です(導出→スキャン→送金を全被害者に対して同時自動化できる)。そこに中程度のパスフレーズが加わるだけで、攻撃は被害者ごとの総当たりに変わり、1試行ごとにPBKDF2全計算+アドレス導出+チェーン照会のコストがかかります。しかも『パスフレーズが違う』と教えるオラクルは存在せず、どの候補も“何らかの空のウォレット”を導出するだけ。無差別の一斉スイープに対してこの非対称性は決定的です。標的型の攻撃に対しては、パスフレーズ自体の強度(50〜60ビット以上)がものを言います。
  • 限界も正直に:①パスフレーズは緩和策であって修復ではありません——ニーモニックのエントロピーは壊れたままなので、Coinkiteの案内どおり修正版ファームウェアで新規生成したシードへ移行すべきです。②弱いパスフレーズ(辞書1単語・誕生日)では探索空間の増分が小さすぎて意味を持ちません。③この防御は『パスフレーズ自体が漏れない』前提で成立します——帯域外の秘密であり続けてこそ、です。
  • 一般化した教訓を一行で:パスフレーズは『端末のエントロピー源から独立した、ユーザー由来のエントロピー』である——だからこそ、端末が生成したものすべてを無効化する類いの故障(乱数生成器の欠陥・シード生成バグ・生成器へのサプライチェーン改ざん)を、ちょうど生き延びられるのです。

出典:Coinkite開示、The Hacker News(2026年8月)、CoinDesk(2026年7月31日)、財経新聞(2026年8月1日)ほか。数字は報道時点のもので、今後修正される可能性があります。

5. 機種別の設定方法 — あくまでイメージ

以下は簡略化した流れです。正確なメニューは機種・バージョンで異なるため、必ずリンク先の公式ガイドに従ってください。以下3ブランドはいずれもCardano対応ウォレットアプリ(Eternl/Lace/Typhon等)で使えます。パスフレーズ適用中は、アプリからは「別のウォレット(別アドレス)」として見えるだけです。

Ledger(Nano S Plus / Nano X / Flex / Stax)

おおまかな流れ(端末本体で操作):

  1. 端末のロック解除 → Settings → Security → Passphrase
  2. モードを選択:『Attach to PIN』(常用向け。第2のPINで隠しウォレットが開き、通常PINはおとり側のまま)または『Set temporary』(切断まで一時適用)。
  3. パスフレーズを端末上で入力(最大100文字)し、現在のPINで確定。
  4. Cardanoアプリ(Eternl/Lace等)に接続し直すと、新しい空のウォレットが見えます。それが隠しウォレットです。

公式ガイド: support.ledger.com — “Advanced passphrase security” ↗

Trezor(Model One / Model T / Safe 3 / Safe 5)

おおまかな流れ(Trezor Suiteアプリ経由):

  1. Trezor Suite → 設定(歯車)→ Device → 『Passphrase』を有効化。
  2. 以後、接続時に『Standard wallet』(パスフレーズなし=おとり側)か『Hidden wallet』(パスフレーズ入力)を選ぶ形になります。
  3. できるだけ『enter on device(端末で入力)』を選択——Trezor本体の画面・ボタンで入力すれば、PCのキーロガーにパスフレーズが触れません(タッチ画面の機種なら簡単です)。
  4. Cardanoウォレットアプリを開くと、隠しウォレットが新規ウォレットとして見えます。

公式ガイド: trezor.io/learn — “Passphrases and hidden wallets” ↗

Keystone(3 Pro)

おおまかな流れ(端末のみで完結——Keystoneはエアギャップ型):

  1. ロック解除 → 設定(歯車)→ Passphrase。
  2. タッチ画面でパスフレーズを入力すると、端末が隠しウォレットに切り替わります(バージョンによっては別PIN/指紋プロファイルへの紐づけも可能)。
  3. CardanoアプリとQRで再ペアリングすると、別ウォレットとして認識されます。

公式ガイド: support.keyst.one — search “passphrase” ↗

6. かんたんFAQ

Q. PINと何が違うの?
PINは『端末』を守るもの(何度も間違えると端末が初期化される)。パスフレーズは『シード』を守るもので、端末と無関係に24語が漏れた場合でも効きます。PIN=家のドアの鍵、パスフレーズ=家の中の隠し金庫、というイメージです。
Q. どんなパスフレーズにすべき?
長すぎず・入力可能で・バックアップ前提のもの。ランダムな単語3〜5個や、自分にしか出てこない文章など。誕生日・ペットの名前など推測可能なものは避ける。必ず(シードとは別の場所に)書き残すこと——記憶だけに頼るのが資産喪失の典型パターンです。
Q. 全員がパスフレーズを使うべき?
正直な答え:管理は確実に複雑になり、『忘れて失う』という新しいリスクも生まれます。少額なら、24語を適切に保管するだけで十分な場合もあります。残高が大きい・保有が周囲に知られている・シードの保管場所を完全に管理しきれない、といった場合に強く価値が出ます。
Q. 設定したら残高がゼロに見える!
慌てないでください——コインは動いていません。①資金移動前の(空の)隠しウォレットを見ているか、②打ち間違いで『さらに別の』空ウォレットを開いているだけです。落ち着いて入力し直せば、元のウォレットは「パスフレーズなし」または「元の正確なパスフレーズ」で必ず開きます。
Q. Cardanoのステーキング/DRep委任でも使える?
使えます。隠しウォレットは独自のステークキーを持つ普通のCardanoウォレットで、ステーキングもDRep委任も投票も全て可能です。ただし別ウォレットなので、おとり側の委任設定は引き継がれません。
本ページは一般的な解説であり、個別状況への助言ではありません。設定手順はイメージであり、機種・バージョンで異なります——必ず公式ドキュメント(Ledger: support.ledger.com/Trezor: trezor.io/learn/Keystone: support.keyst.one)に従ってください。関連:SecondFi事件の解説は adatool.net/secondfi-recovery をご覧ください。